1.19.2010

怠惰



達成が少し困難なくらいでないと僕はだらけてしまうようだ。

1.18.2010

瓦礫に埋もれた都市の中で



人々の生活の背景には必ず建築がある。

つまり、人々の思い出や記憶の背景には建築が存在する。

「記憶の器」というコンペの時にもこのことについてよく考えた。

ただ必ずしも良い記憶ばかりを生み出すわけではない。

建築が自然に屈した時、それは人を押しつぶす瓦礫へと変貌する。

負の記憶。



そして、ハイチでは多くの犠牲者が生まれた。



そんな中、興味深い写真を見つけた。





新たな建築の息吹である。

小さく、頼りなく、儚いものであるがとても力強い。

彼らの復興を助けるのもの、彼らに希望を与えるものが「建築」であってほしい。

屈してはいけない。

1.17.2010

CSKAモスクワからレアルへの移籍を夢見るレアルファン



今冬、VVVからCSCAモスクワに移籍した本田圭佑。

今最も注目している日本人選手の一人である。

そんな彼がこんなことを言っていた。



「自分の中では次はスペインでやりたい。Rマドリードが好きだから、僕は本気でRマドリードでやりたいと思ってる。」



頼もしい。

基本的に彼のビッグマウスには好印象を抱いている。

自分自身にプレッシャーをかけ、なおかつ確実に応えていく姿に人間としての強さを感じる。

日本人にいないタイプと感じるとともに、期待感も生まれる。

移籍を機にこんなことも言っていた。



「ロシアでどれだけ成り上がれるか。」


頼もしい。

ロシアからどこまででも上り詰めてほしい。

どこへ行っても僕はyou tubeで追いかけます。

建築の建ち方⇨山口⇨




自然を背景とした建築を好む傾向がある。

建ち方がキレイだと思ってしまう(ものによってはそうではないものもあるが)。

マラパルテ邸は良い例で、普通に考えれば意味の分からないところに建っているがとても魅力的である。

卒論の研究対象だったので、学部4年の夏に実際に見に行ったのだが、陸から、海からアプローチを試みたがほとんど近づけなかった。






学部3年の夏に訪れた内藤さんの海の博物館もまた僕の好きな建築。

鳥羽の海のひっそりたたずむ建築。

この作品を見て以来、内藤さんの虜。




これまた内藤さんの牧野植物園は高知の山の斜面に建っていた。

周辺の森林の中に、うねる大屋根が埋もれていくことを期待しているようだ。

風の抜け方、景色の広がり方がとても気持ちよかった記憶がある。



さて、このように都市に建つ建築よりも少し田舎にある建築を好む傾向があるようだと最近気づき出した。





おそらく、自分が生まれ育った環境が原因なのではないかと思う。

盆地である山口市の周辺は連続する山々。

必ず建築の背景には山が登場する。

何気なく見ていた風景だったけれども、今ではそれが魅力的と感じるようになっている。

上の写真は磯崎さんの山口芸術センター。

山口の作品の中では結構お気に入りな作品。



話は少し変わるが、

この建築ができて、市民の生活の流れが少し変化したと実感することがしばしばある。

建築単体のみでなく、前に位置するだだっ広い広場の使われ方とてもよい。

犬の散歩、花見、スケッチしている人、サッカーをする子供達等多くの人々が集まっている。

街を歩いてもほとんど人のいない山口市であるのにもかかわらず。

初めて訪れた時、その光景が新鮮だった(残念ながらこの写真には人は写っていないが)。


それはポンピドゥーセンターの前の広場で受けた新鮮さと少し似ていた。

あの時は、都市のど真ん中にこのだだっ広い広場を設けたことに新鮮さを感じ、そしてそこに多くの人が集まり、寝そべったり、それぞれの時間を自由に過ごしている姿を見てなぜか嬉しくなった。

田舎、都市と違いはあるし、質も全く異なるのであるが、山口芸術センターを訪れた時、ポンピドゥーがフラッシュバックした。

1.14.2010

寒波


寒波到来のようで、久々にまともに雪が積もった。

寒い。



我が家のウサギも寒いようで、日光の熱を求めて窓際にステイ。

全く動くこなく置物のよう。

居心地の良い場所ってことか。



雪が積もると様々なもののエッジが消えて、通常の風景とは質の違う風景が広がっているから面白い。

なめらか。

この時はたまたま田舎にいたけど、角張った人工物がひしめく都市の方が積雪の風景は面白いだろうな。

そういえば、2010年の学会コンペが「大自然に呼応する建築」って感じのタイトルだった。

伊東さんが審査委員長だし、面白そう。