9.23.2010

9月の休日

研究室配属後、毎年9月は調査でイタリアに行っていた。

限られたヨーロッパの時間を無駄にしてはいけないと、とにかく歩き回っていた。

あれから、もう一年。


先月のとある日曜日に東京の建築を終日見て回った。

休日は社会人にとって貴重な時間である。

久々に歩き倒した。





午前にカテドラル。

日曜日だったのでミサをしていました。

毎週同時刻に多くの人が集まるってとても素敵な光景だと思います。

4年生の時、ローマのサンティーボ・デッラ・サピエンツァのミサを見て感動したのを思い出しました。

異なる生活を送っている人が、同じ場所、同じ時間を共有する事象が発生するということは、大変大きなパワーを必要とします。

例えば、コンサート、オリンピックのような。

これらと比較するとミサはとても小規模ですが、爽やかにひっそりと日曜日の朝に行われている感じが、すごく好きです。




国際フォーラム ラファエル・ヴィニオリ



日比谷花壇 乾久美子



スパイラル 槇文彦



代々木体育館 丹下健三


代表作を攻めてきました。

9.04.2010

グラントワ

Grand Toit(グラントワ):フランス語で「大きな屋根」

お盆に実家に帰った時に、内藤さんの島根芸術文化センターを見に行った。



行き路の風景。

山陰地方の集落では石州瓦用いた住宅が点在しており、そこで小さなコミュニティが形成されている。




島根県益田市に位置するグラントワはこの地域特有の素材である石州瓦を身にまとった建築であり、美術館、劇場を複合した地域の核としての文化センターとして機能している。

小さなスケールの街並に対して、そのヴォリュームは暴力的であるが、それは要求された機能を満たした結果であり、色々な意味でその地域にどっしりと構えた安定感のある力を放っているように見えた。




構成は明快で、薄く水を張った水庭を中心に美術館、劇場等の機能が周辺にぶら下がっている。



子供が水庭で遊んでいる姿がとても印象的。

この建築の中心にある水庭は本来抽象的な存在であるのはずなのに、子供達は面白い使い方をする。

この浅い水の上を泳ごうする子供までいて、必死に係員さんが止めていた。

こんな光景を内藤さんが想像しながら設計していたのかは分からないが、結果的にこのような使われ方をしていることがとても重要である。

お盆という時期が大きく作用しているのは間違いないだろうが、本当にグラントワには多くの人がいた。

特に子供連れの家族が多く、地域の拠り所という言葉とてもふさわしい光景に感じた。


全国の空洞化する中心市街地を活性化する力は、単に建築のプログラムや画期的なデザインによってなし得るものではない。

日々ここを訪れてこれを活用する人々の存在が最も大きな力なのである。

古谷誠章が茅野市民間を作っていた時にこのようなことを言っていたのを思い出した。



これはグラントワで販売されている箸置き。

内藤さんがグラントワで用いた石州瓦でデザインした箸置きである。

この箸置きは島根県立益田養護学校の生徒の手で作られ販売されているようだ。

人を巻き込む力、本当に建築家として魅力的である。

6.14.2010

広島






先週末高校の友人の結婚式に行ってきた。

in 広島。

始便で東京→広島、終便で広島→東京という日帰りハードスケジュールだったので、正直ばてた。

ただ結婚式はとてもよいもので、僕の方まで幸せな気持ちになった。

友人、友人の周辺の人々にとって人生の節目となる大きなイベントなわけで、多くの涙を見ることとなった。

新郎の祖母が涙をこらえているのが印象的だった。

新婦の友人が涙を流しながらスピーチをしていたのも印象的だった。

僕の知らないところで、多くのドラマは常に生まれている。

そのドラマに触れることができてよかった。

本当に素晴らしい一日でした。



ここからは現実的な話であるが、広島での結婚式ということで出費が多すぎた。

約7万の出費はいくらなんでもきつすぎる。

今月は超貧乏生活だ。

6.09.2010

表舞台

会社の研修で工場に見学に行くことが多い最近。



鉄骨階段の工場見学。


溶融亜鉛メッキ塗装の工場見学。


アスファルト防水の工場見学。

どの工場もかなり過酷な労働環境だった。

溶融亜鉛メッキ塗装の工場で労働している人の大部分は日系ブラジル人という話を聞いた。

分かっていたことではあったが、建築成立の影では多くの汗が流されている。



設計の職に就いている僕は建築界の表舞台にいるということを嫌と言う程実感させられた。

僕たちが引く線、描く絵を実現するために多くの汗が流されている。



決して優越感に浸っているわけではない。

ただ、自分の置かれている立場を再確認しなければいけないなと思った。


設計を志していたが、それを叶えることができなかった友人を多く見てきた。

僕は運良く設計でご飯を食べて行くことができる。


今の環境に満足しすぎることは良いことではないが、不満を抱くようでは、愚痴を言うようでは駄目である。

恵まれていることを、幸せな環境に今いることを忘れてはいけない。

こういう重要なことばかりすぐ忘れてしまい、目の前に起こるちっぽけな不快な出来事ばかり頭の中に積み重ねてしまうのは悪い癖である。









アスファルト防水の会社の内装をSANNAが改修していた。

このゆらゆら揺れるカーテンのようなものは、アクリルの壁である。

今度行われる展覧会用のスタディみたいだ。

1/1のスタディとは・・・

世界のど真ん中で活躍する彼らのやることはスケールの次元が違う。

5.29.2010

次にイタリアに行けるのはおそらく老後であろう。


「磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿」

磯崎新が、ルネサンス以降の歴史から建築・美術に影響を与えた重大事件を10件抽出し、それらと現在がどのような関係をもつのか紐解いていく。
対談相手には新進気鋭の美術史研究者を迎え、建築・美術にとどまらず、国家、宗教、政治、産業、文学、映画・・と、その内容は時代・ジャンルを超え、縦横無尽に展開される。1章読み終えるごとに歴史の軸が自身に確立されていくような、骨太な読み物。
南洋堂HPより

買ったもののまだ全てを読めていない。




「a+u臨時増刊 レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ 1989-2010」




「建築家ムッソリーニ 独裁者が夢見たファシズムの都市」

建築は映画と並んで権力を演出する有効な手段として機能してきた。本書はファシズムの建築思想を詳細な資料と豊富な図版をもとに語る。独裁者は権力を緻密に演出する建築家であった。
南洋堂HPより




今、この二冊が欲しい。

が、高い。

今、書店ではイタリアが熱い。

と、勝手に思って少しわくわくしている今日この頃。

バスで東京を回遊





先日会社のイベントで、竣工物件を見学しに行く機会があった。

上の写真は池袋の音大。

外観も空間構成は写真、雑誌等で見ていたので、知っていたし、かっこ良いなと思っていた。

ただ、行ってみて気づいたのが、この建築はとても使われ方がよい。

学生がスパイラル状に続く階段でご飯を食べていた。

なぜいるのかは謎だが子供が駆け上がっていた。

スパイラルの中心のヴォイドを介して、学生が声をかけあっていた。

とても気持ちよい空間だった。

そして、何より僕を嬉しくさせたのが、設計者が楽しそうにこの建築について説明していたことだ。






古谷さんが作ったカフェにも寄りました。

構造と設備はうちの会社だそうで。

学生っぽい感じが逆に好感を持てるし、意外と好きです。



働き出してから建築を見に出かける機会が減った。

せっかく東京に住んでいるのに動かなくなった。

確かに勉強をしなければという時間の制約もあるのだが。

心を動かされるような経験を積み重ねて行かなければ、モチベーションも保てないし、よいものも作れないだろう。

楽しい一日でしたが、反省の一日でもあった。

5.05.2010

青い空と彩度の高い緑



4月末に福岡に戻る機会があった。

住んでいたときは全く気付かなかったのだが、空が青い。

東京の空より青く、緑の彩度が異常に高く感じた。

写真は福岡天神西通り。




そういえばイタリアに行ったときも同じようなことを思ったっけ。

空が青いなと。

上の写真はフィレンツェの近くにあるピストイアという田舎町に建つミケルッチという建築家の教会。

写真では空の青さは分かりにくいのだが、行けば一瞬で感じる。

単純に青い空の下に建築を建てたいなと思うきっかけとなった帰福であった。


うちの教授のイタリアでの口癖。

日本では学生のしょうもない作品ばかり見て目が濁ってしまうから、こうやって一年に一回イタリアに来て奇麗な空を見て、澄んだ目に戻すんだ。


別に東京に来て、しょうもないものばかり見ているわけではないが、時々少し離れてみなければ、他の環境もそして今いる自分の環境も見えてこない。

5.03.2010

五島列島



大学時代で最も印象に残っているのはデザインスタジオの技術コンペ。

本当に悩み苦しみ、話し合いを幾度も重ねた末、提出ぎりぎりに生まれた作品。

もともと僕は自己中心的でグループ設計は苦手だと思っていたのだが、この設計を終えて大きく価値観が変わった。

楽しかった。

案の決定打となったキーワードが出た瞬間の興奮、

生みの苦しみ、

あきらめない姿勢の大切さ、

評価なんて気にならない程の満足感、

それらの全てを僕以外の二人と共有できたことが楽しかった。

建築として全く形にはなってないという評価もあったが、それはそれでいいんです。

温かい建築を作ったつもりです。


幸せな時間と大きな自信。




別れ



今年の春は温かく、桜の咲く時期も例年に比べて早かった。

桜が卒業の様々なシーンを彩ってくれました。

6年間の大学生活もついに終了。

実に濃い時間だった。

本当に良い同級生に恵まれ、先輩に恵まれ、後輩に恵まれ、先生に恵まれた。

ここまで来るのに数々の選択を迫られ、その度にその時思うベストな選択肢を選んできたつもりである。

本当に良い道を歩んできたと思う。

そういう運は天下一品と勝手に自分自身で思い込んでいます。

正直言うと、別れはものすごくつらくて寂しいのですが、またどこかで会えるでしょう。

3月



社会人になり、一ヶ月。

色々あった3月を振り返ってみる。



ー3月ー

修論から解放され、福岡での生活の締めに入ってる所なので、自然と飲む機会が多くなるのである。

バイトでお世話になっていたKさんと飲みにいった。

なかなか変な人で、ひょうひょうと仕事をこなす楽観的なタイプの人間だと思っていたのだが、

どうやら、そのイメージは間違っていたようだ。

貪欲に建築に取り組み、全身でぶつかっていく人。

設計が好きであるがゆえに生まれる苦しさを多く抱えている人だった。



「ただ、お金もらって仕事をするだけなんだから、本当はそんなに頑張る必要はないんだよ。」


この言葉がとても心に響いた。

苦しさに潰れてしまわないように、普段は仮面をかぶっている。

自分に言い聞かせるように。

それがひょうひょうとしたKさんである。

きっと建築が大好きなんだと思う。

やっぱり設計者はこうでなければ。



話は変わるが、2月に行われた建築九州賞の二次審査のプレゼンテーションがとても面白く感じた。

ぜひ、建築とは関係のない一般市民の方に見てもらいたい。

都市に建つ建築には、設計者の考えや思いが多く詰まっていることを知ってもらいたい。

その集積で都市は成立している。

僕も4月から頑張らなければと思わされた。

2.14.2010

一歩一歩

朝起きたらモーグルの決勝をやってた。

もちろん上村愛子のメダル獲得を期待して応援していたのだが、

残念ながら、惜しくも4位。

もう30歳だから、次のオリンピックは厳しいかな。

それだけに本人も今回の結果は悔しいはず。

中学生の時に行われた長野オリンピックで初めて見て以来、

気づけば12年。

あの時はまだ女子高生だったな、なつかしい。

長野7位

ソルトレイク6位

トリノ5位

バンクーバー4位

メダルには届かなかったけれど、

順位も一歩ずつの前進だけれど、

色々なプレッシャーの中

12年間も常に成長し続けていることは本当に素晴らしいことだと思う。

2.01.2010

『30 mountains』敗北



今日、11月に出したコンペが落選したという事実を知った。

薄々感づいてはいたが。

一等案がとてもよく似た案だっただけに、悔しい。

割と自信があったのだが、まだまだ詰め切れてないということか。

勉強。勉強。

1.19.2010

怠惰



達成が少し困難なくらいでないと僕はだらけてしまうようだ。

1.18.2010

瓦礫に埋もれた都市の中で



人々の生活の背景には必ず建築がある。

つまり、人々の思い出や記憶の背景には建築が存在する。

「記憶の器」というコンペの時にもこのことについてよく考えた。

ただ必ずしも良い記憶ばかりを生み出すわけではない。

建築が自然に屈した時、それは人を押しつぶす瓦礫へと変貌する。

負の記憶。



そして、ハイチでは多くの犠牲者が生まれた。



そんな中、興味深い写真を見つけた。





新たな建築の息吹である。

小さく、頼りなく、儚いものであるがとても力強い。

彼らの復興を助けるのもの、彼らに希望を与えるものが「建築」であってほしい。

屈してはいけない。

1.17.2010

CSKAモスクワからレアルへの移籍を夢見るレアルファン



今冬、VVVからCSCAモスクワに移籍した本田圭佑。

今最も注目している日本人選手の一人である。

そんな彼がこんなことを言っていた。



「自分の中では次はスペインでやりたい。Rマドリードが好きだから、僕は本気でRマドリードでやりたいと思ってる。」



頼もしい。

基本的に彼のビッグマウスには好印象を抱いている。

自分自身にプレッシャーをかけ、なおかつ確実に応えていく姿に人間としての強さを感じる。

日本人にいないタイプと感じるとともに、期待感も生まれる。

移籍を機にこんなことも言っていた。



「ロシアでどれだけ成り上がれるか。」


頼もしい。

ロシアからどこまででも上り詰めてほしい。

どこへ行っても僕はyou tubeで追いかけます。

建築の建ち方⇨山口⇨




自然を背景とした建築を好む傾向がある。

建ち方がキレイだと思ってしまう(ものによってはそうではないものもあるが)。

マラパルテ邸は良い例で、普通に考えれば意味の分からないところに建っているがとても魅力的である。

卒論の研究対象だったので、学部4年の夏に実際に見に行ったのだが、陸から、海からアプローチを試みたがほとんど近づけなかった。






学部3年の夏に訪れた内藤さんの海の博物館もまた僕の好きな建築。

鳥羽の海のひっそりたたずむ建築。

この作品を見て以来、内藤さんの虜。




これまた内藤さんの牧野植物園は高知の山の斜面に建っていた。

周辺の森林の中に、うねる大屋根が埋もれていくことを期待しているようだ。

風の抜け方、景色の広がり方がとても気持ちよかった記憶がある。



さて、このように都市に建つ建築よりも少し田舎にある建築を好む傾向があるようだと最近気づき出した。





おそらく、自分が生まれ育った環境が原因なのではないかと思う。

盆地である山口市の周辺は連続する山々。

必ず建築の背景には山が登場する。

何気なく見ていた風景だったけれども、今ではそれが魅力的と感じるようになっている。

上の写真は磯崎さんの山口芸術センター。

山口の作品の中では結構お気に入りな作品。



話は少し変わるが、

この建築ができて、市民の生活の流れが少し変化したと実感することがしばしばある。

建築単体のみでなく、前に位置するだだっ広い広場の使われ方とてもよい。

犬の散歩、花見、スケッチしている人、サッカーをする子供達等多くの人々が集まっている。

街を歩いてもほとんど人のいない山口市であるのにもかかわらず。

初めて訪れた時、その光景が新鮮だった(残念ながらこの写真には人は写っていないが)。


それはポンピドゥーセンターの前の広場で受けた新鮮さと少し似ていた。

あの時は、都市のど真ん中にこのだだっ広い広場を設けたことに新鮮さを感じ、そしてそこに多くの人が集まり、寝そべったり、それぞれの時間を自由に過ごしている姿を見てなぜか嬉しくなった。

田舎、都市と違いはあるし、質も全く異なるのであるが、山口芸術センターを訪れた時、ポンピドゥーがフラッシュバックした。

1.14.2010

寒波


寒波到来のようで、久々にまともに雪が積もった。

寒い。



我が家のウサギも寒いようで、日光の熱を求めて窓際にステイ。

全く動くこなく置物のよう。

居心地の良い場所ってことか。



雪が積もると様々なもののエッジが消えて、通常の風景とは質の違う風景が広がっているから面白い。

なめらか。

この時はたまたま田舎にいたけど、角張った人工物がひしめく都市の方が積雪の風景は面白いだろうな。

そういえば、2010年の学会コンペが「大自然に呼応する建築」って感じのタイトルだった。

伊東さんが審査委員長だし、面白そう。