12.24.2012

Ciak

Ciakの2013年のスケジュール帳をネットで購入。

大学4年以来、Ciakを使い続けている。

個人的にしっくりきている。

気にっているタイプの手帳は3年前から日本で売らなくなったので、

最近は、面倒だが年末にイギリス、もしくは韓国のサイトで

スケッチ用の手帳と合わせてまとめて購入するようにしている。

多少手間がかかっても、お金がかかっても

愛着はそれらを簡単に超える。

実は、少し使いにくい部分もある手帳なのだが、

好きだからよいのだ。

世の中、結局そんなものだ。


11.20.2012

12.10.30 ニューヨーク-4


この日の朝、

ニューヨーク650万世帯が停電、

かつ、停電期間が約一週間になるだろうという情報を人から聞く。

地下鉄も水没しているようで、4~14日ストップするとも聞く。

停電のため、テレビも見れず、Wi-Fiも使えないため、

情報を得ることできていなかった。

予想以上。

状況確認のため少し街を歩くことに。



本当に街が停電している。

朝には停電も回復すると思っていたが、

甘かった。

脆弱すぎる。


予定を大変更。


急遽、本日のニューヘブン行きを中止、10/31-11/2ボストン行きを中止。

ただ、中止するといっても、中止する術がない。

ネットがなければ、ホテルも、交通手段もキャンセルできない。

そもそもニューヨークに残ったとしても、

今日からのニューヨークの宿がまずない。






風での被害は多少見られるが、言うほどでもない。

とにかく問題は電気だ。



信号が止まっているため、警官が交通整理。

3.11の後、八王子で見た計画停電の時と同じ光景。

ただ、ここはニューヨークのマンハッタン。

ど真ん中なのだが。


警官に停電していないエリアを確認。

後で分かったことだが、マンハッタンの南半分が停電していたようだ。

ちょうど僕が泊まっていたホテルがマンハッタン中心部より少し南側の

ミッドタウンという所に位置していたため、停電となった。

とりあえず、現状を打開すべく、電源の旅へ。

マンハッタン北部の停電になっていない地域に向かう。





電源のあるお店を探し、iPhoneとiPadを充電。

状況が状況だけに同様の客も多数いた。

BBCの記者がこのお店の電源難民の取材をしていた。


充電を終え、次はWi-Fiの旅へ。


マンハッタン中のスターバックスとマクドナルドがサンディの影響でクローズしていたのが痛手。


この二つのお店を除くと店内でWi-Fiを使えるお店は非常にに少ない。









Wi-Fiを使用でき、かつ開いているカフェを探し当てれなかったので、


結局スタバ周辺でネットを。


こちらも状況が状況だけに同様の客も多数いた。


ただ、外なのでとにかく寒い。


異様な光景。


今日は今後の計画の立て直しに力を注ぐ。


10/30-11/3もマンハッタンの同じ宿に連泊することに決定。


泊まっていたホテルには予約がいっぱいとお昼に断られていたが、


夕方に状況が変わり、


連泊可能に。


こういう状況なだけにキャンセルでも出たのだろう。


泊まっていたホテルは停電地域はあるが、


交通手段を失ったマンハッタンにおいて、


中心部に位置するホテルの立地条件は魅力的であった。


そもそも、停電していない地域のホテルはほとんど埋まっていた。


不便ではあるが、充電とWi-Fiは朝と夜にカフェですることに。







LOVEどころではない。


アメリカらしくステーキを食す。



夜になっても地下鉄は動かず。


鉄道も動かず。


僕を含めてマンハッタンの多くの人はは停電に悩まされている状況なのだが、

タイムズスクエアのネオンは眩しいほどに輝いていた。

様々な高さ、角度の広告面を持ち、様々なベクトルを持った動く広告文字。



多くの情報が一度に飛び込んでくるという現象はとても面白く、魅力的なことである。

建築空間のヴォイドも同じ原理。

ヴォイドを介して、様々なフロアの人々の活動が見えるということがやはり空間として面白い。

人々の活動にもベクトルがあり、また速度もある。

それらの多様性をヴォイドでリンクさせ、

人々の視覚に一度に飛び込んでくる状態を出来るだけ作り出していければなと思う。 













初日に行ったエンパイアステートビル。

あの時見た輝くマンハッタンの夜景は、今日はないのだろう。





夜の帰宅方法は、停電地帯際からタクシーで帰ることに。

夜の停電地帯は暗すぎて無法地帯。

怖い。

危険。







事態がこの先好転するのかどうか全く分からない



不安な一日。

   

11.16.2012

12.10.29 ニューヨーク-3



ハリケーン「サンディ」接近。




朝地下鉄の駅に行くと、入り口が閉まっていた。

サンディの影響による終日地下鉄全休のようだ。

ネット情報によるとこの日の夜サンディのピーク。

夕方までは、何とか観光できるだろうと、

雨にも負けず、風にも負けず、地下鉄全休にも負けず、徒歩でいざ出発。

マンハッタンを歩き倒す。







ルイ・ヴィトン 青木淳 2004

日本とそう変わりはない。

ブランディングによるプロトタイプということなのか。









トランプタワー デア・スカット&スワンク・ハイドン・コネル 1983






アップルストア、閉店。






Moma臨時休館。

サンディの影響をひしひしと感じる。

風は強いが、まだ全然街を歩ける状態なのだが。

休館、閉店ばかり。







レバーハウス SOM 1952





シーグラム・ビル ミース・ファンデル・ローエ 1958

カーテンウォール際の暖色系のライティングがGLから見ると非常に綺麗である。


シーグラムからレバーハウスを見る。

地理的に近い関係にある。

時系列的にもこの2つのスカイスクレーパーは近い関係にある。

注目すべきはレバーハウスの方が6年ほど早く建っている点。



現代日本の新築のオフィスビルと比較しても、これらは決して劣ることはないように思える。

60年前のものとは思えない。

天気の良い日にもう一度来よう。





ウィリアム・レスケーズ邸 ウィリアム・レスケーズ 1934


1930年代のモダニズムは得意分野なので、ぜひ見たいと思い立ち寄る。

30年代ヨーロッパモダニズム建築はニューヨークではなかなか見られない。

ウィリアム・レスケーズという建築家はスイスから1920年にアメリカに渡ってきたようだが、

この作品だけ見て比較するのならば、

同時代のイタリア北部、ドイツのモダニズムの方が全然レベルが高い。

アメリカ建築文化における特徴、特異性として

「インポートモダニズム」という性格に注目しているのだが、

戦前については面白みに欠けるようだ。

戦前の建築の潮流にアメリカは組み込めない。

分断点はやはり戦争か。




通りすがりの教会。

ニューヨークの教会はRCが多い。


アメリカンランチは豪快。




国連本部ビル ル・コルビュジェ、オスカー・ニーマイヤー、ハリソン他 1953






フォード財団ビル ケヴィン・ローチ 1967

風が強くなり、気温も下がり、カメラのレンズも雨で濡れるので、

国連周辺の写真がやたら少ない。

撮る気が失せている証拠。

フォード財団はサンディの影響で閉館。






クライスラー・ビル ウィリアム・ヴァン・アレン 1930



豪華の極みを見た感覚。

選り好みをせずに色々なものを見るということは重要である。











予約していたブロードウェイもキャンセルに。





さすがに外を出歩けない状況になってきたので帰宅。

そして、この夜、マンハッタン停電。