8.25.2013

歴史的文脈

JIAの特別寄稿、槇文彦の「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を読む。

コンペのプログラム、ザハ・ハディドの案に対して、とても真っすぐな批判。

安藤忠雄が審査委員長のこの国際コンペに対して、日本の建築界の大御所が真っ向から立ち向かう姿勢がとても清々しい。

様々な意見、賛否両論あるとは思うが、このような議論が生まれることそのものが面白いし、改めて大切だと気づく。

取り壊しが決定していた磯崎新の旧大分県立図書館が様々な議論の末、大分市立市民アートプラザとして転生するまでのプロセスを、ちょうど本で読んでいたところだったので、様々な点でリンクした。

このプロセスの中でも、歴史的文脈という言葉が多く飛び交っていた。



歴史意匠研究室出身なので、歴史という言葉には敏感ではあるが、

ただ古いものを残していこうというような保存主義というか、ただの保守的なタイプの人間というわけではない。



建築を設計する上で、必ずその建築を設計する敷地が存在し、

その敷地自体は何十年、何百年、もしかしたら何千年の時間軸を持ち合わせている。

その時間軸の中に、どのようにプロットしていくかを判断するということが建築を設計する中での大きな要素の一つだと思っている。

土地の歴史を重んじ、周辺の景観に合わせたものを計画するのも良いし、

逆にあえて異物を挿入するような方法でも良いと思う。

結果的に重要なのは、その地が抱えている時間軸に対して、

真っ正面から向き合い、向き合った上で解答を出すこと。

だから、周辺の景観に合わせたものを計画するのでもよいし、異物を挿入するような計画でもどちらでもよい。

どのような計画をしても賛否両論あると思うが、それはそれでよい。

その地が持つ時間軸と向き合うことが、歴史的文脈を配慮するということであるし、

その思考ができないで建てられた建物は、「建築」ではない。

ザハ・ハディドが計画したものはどこまで考えられた案なのかは、

本人がその計画の思考を語るまでは分からないし、実際に建てられたものを見るまでは分からない。

国立競技場の議論の今後の行方が、どのような方向に向かうのかは、興味深いし、楽しみ。







この大分市立市民アートプラザは、磯崎新の作品の中でも、最も好きな作品である。


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