仕事もプライベートの用事もないフリーな一日が出来たので、
このタイミングだと夜行バスで東北に向かう。
まさかの往復夜行バス。
さすがに翌日からの仕事はボロボロだったが、
行ってよかった。
あれこれと自分なりに考えてはいたが、
現地にて、もやもやしていた頭の中の整理完了。
その地に立つ事の重要性を改めて痛感。
建築は敷地だ。という教授の言葉を思い出す。
とにかく敷地に通い詰めなさい。
朝、昼、夜、
晴、曇、雨、
春、夏、秋、冬、
全てを見なさい。という教授の言葉を思い出す。
その言葉を純粋に受け止め、
卒業設計前にティベリーナ島に1週間通い詰めた自分の過去を思い出す。
現地で受ける感覚ほど重要なものはない。
簡単な解決法である。
津波で家屋は流された空白の街なのだが、
コンクリート基礎だけは残っていた。
建築を勉強している者だからということもあり、
そこから、被災前の生活のイメージが読み取れ、
心苦しかった。
エントランスのタイル貼りが至る所に見られた。
湿式だから、コンクリート共に残っているわけだ。
本来は明るい家庭の入り口だったはずである。
リアスホール 新居千秋
約1年越し。
被災地に建つ、
このコンクリートの建築に、
時代の切断点としての大きな役割を担う可能性があるのではないかと
個人的に考えていた。
広島のピースセンターのように。
もし東北に建築を建てるならば、
ピースセンターとは対照的に、
この東北の地では地べたに這いつくばるような形態が良いと思っていた。
素材はコンクリート。
あの風景から受けた感覚を信じ、
復興を支える建築のあり方を考える一個人の、
小さな考えである。
感覚的なものの中にはもちろん合理性は含まれていないのだが、
建築の奥深くにある説得力は、
最終的にはそういったものなのではないだろうかと思う。
とにかくこのリアスホールには感覚的に
ピンと来た。
圧倒的な造形力が生み出すパワーもまたよい。
シンプルな言葉で
良い建築と思った。
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