7.12.2014

ワールドカップ総括


■バルセロナの墜落と無敵艦隊スペインの沈没
前回王者スペインが初戦のオランダ戦で1−5で破れ、そのまま調子が上がることはなくグループリーグ敗退。

ユーロ2008から今大会まで絶対的王者で居続けたスペインの時代が終わった瞬間であった。

王者になる以前より無敵艦隊とスペインは呼ばれていたが、魅力的なパスサッカーを展開しながらも、勝負弱く大舞台で結果を残せないような印象を抱いていた。

そのようなスペインが、ユーロ2008以降驚異的な強さを見せていた最大の要因は、チームのスタメンの大部分がバルセロナの選手で占められていたからだと思っている。

当時バルセロナは世界最高と呼ばれるにふさわしい、スペクタクルなサッカーと勝利を両立させ続け、多くのサッカーファンを魅了していた。

また、バルセロナのサッカーがスペインのチームでも同様に行われており、クラブ同様の圧倒的な結果を残し続けていた。

そのバルセロナも選手の高齢化、世代交代の失敗などにより、去年あたりから以前ほどの圧倒的な強さは感じられず、同様に今回のワールドカップではスペインが敗れた。

スペインとバルセロナの一時代はニアリーイコールの関係であり、ブラジルにて終幕を向かえたような印象を与えた。



■ドイツの躍進
僕は開幕前より優勝予想をドイツと掲げていたのだが、その期待を裏切らない活躍ぶりをドイツは現在まで見せている。

準決勝のブラジル戦は圧巻であった。

僕がドイツを優勝候補に挙げていた理由は、前述したスペインとバルセロナの関係と同様である。

ここ数年バイエルンミュンヘンとドルトムントがヨーロッパで躍進していた。

そのバイエルンミュンヘンとドルトムントのメンバーがドイツ代表の大半を占めているのだ。

ラーム、ミュラー、クロース、ゲッツェ、フンメルス、ノイアー、ロイスなどなど。

若くて才能豊か選手が多数おり、日頃ともにプレーしていることによるチームワークのメリットもある。

明らかに他の国より強いであろう。



■メッシのラストピース
世界最高選手であるメッシが、未だ手にしていない唯一のタイトルがワールドカップ。

バロンドール獲得、チャンピオンズリーグ、リーガエスパニョーラ制覇などのクラブチームでの輝きは素晴らしいが、なぜか代表チームでは輝きを見せることができないというのがこれまでの評価。

そんなメッシも今回のワールドカップでは勝負所で決定的なプレーを幾度も見せつけ、ついに決勝まで辿り着いた。

僕が生きていた中で、メッシは最高の選手と断言できる。

この思いが間違いとならないよう、ワールドカップというラストピースを獲得し、誰にも辿り着けない伝説の域に辿り着いてほしい。








来週月曜日の朝にドイツ対アルゼンチンの決勝戦があるが、

結果が出る前に総括をしたいと思い、久しぶりにブログ。







■2004ー2014

2003年にロナウジーニョがバルセロナに加入した。

加入以前のバルセロナは数年間永遠のライバルであるレアルマドリードよりも成績が劣っていたが、

ロナウジーニョがフィットした2004年以降、完全にサッカー界の立場が逆転。

2004年からロナウジーニョを中心としたスペクタクルなバルササッカーが始まった。

現在一般的に言われるバルセロナやスペインの魅せて勝つサッカーと言うのは2004年以降のことである。

2004年以降のバルセロナという史上最高に素晴らしい時代/環境で、育ったのが現在の世界最高プレーヤーのメッシ。

背番号30番を付けていた幼いメッシが初ゴールを決め、ロナウジーニョに抱きかかえられていたことは今でもはっきり覚えている。

メッシの成長とともに、更にバルセロナは脅威を増した。

ロナウジーニョが退団した後は、メッシがチームの中心となり、バルセロナの発展を維持し続けた。



ムーブメントとなったバルセロナのサッカーは全世界に影響をもたらし、フィジカル・守備に偏りがちな勝利主義的な思考を少しずつ変化させていった。

美しく・楽しく、そして勝つ。こんな魅力的なサッカーがあるんだと。

現在の日本代表もこのバルセロナムーブメントの一端と言えるが、

僕がそのムーブメントの恩恵を大きく受けていると考えているのは現在のドイツ。

10年前の長身のセンターフォーワードのパワープレイに依存していたフィジカル重視で堅固なスタイルのドイツ代表から一変し、エジルやロイスのようなテクニカルでスピーディーなモダンなサッカースタイルを展開するようになった。

これは10年前から始まったムーブメントによる影響を子供たちが受けていたことにあると思う。

10年の月日がたった今、その子供たちがワールドカップの代表戦士。



スーパースターメッシも、

モダンなサッカーを魅せるようになったドイツも、

2004年から2014年の間のバルセロナとスペイン代表のムーブメントの一部であり、延長線上とも言える。

そのような見方をすると、とても感慨深い決勝戦である。

グループリーグでスペインの時代が終わったように見えるが、本当はこの決勝戦まで全てが連続している。




ムーブメントを創り出したバルセロナとスペインの歯車が噛み合い出す起点となったのは、
ロナウジーニョだ。

彼のバルセロナでの活躍から10年という月日が経ったワールドカップ決勝には多くのものが詰まっている。


僕自身、バルセロナの永遠のライバルであるレアルマドリードのファンであるが、純粋にそう感じている。
















8.25.2013

歴史的文脈

JIAの特別寄稿、槇文彦の「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を読む。

コンペのプログラム、ザハ・ハディドの案に対して、とても真っすぐな批判。

安藤忠雄が審査委員長のこの国際コンペに対して、日本の建築界の大御所が真っ向から立ち向かう姿勢がとても清々しい。

様々な意見、賛否両論あるとは思うが、このような議論が生まれることそのものが面白いし、改めて大切だと気づく。

取り壊しが決定していた磯崎新の旧大分県立図書館が様々な議論の末、大分市立市民アートプラザとして転生するまでのプロセスを、ちょうど本で読んでいたところだったので、様々な点でリンクした。

このプロセスの中でも、歴史的文脈という言葉が多く飛び交っていた。



歴史意匠研究室出身なので、歴史という言葉には敏感ではあるが、

ただ古いものを残していこうというような保存主義というか、ただの保守的なタイプの人間というわけではない。



建築を設計する上で、必ずその建築を設計する敷地が存在し、

その敷地自体は何十年、何百年、もしかしたら何千年の時間軸を持ち合わせている。

その時間軸の中に、どのようにプロットしていくかを判断するということが建築を設計する中での大きな要素の一つだと思っている。

土地の歴史を重んじ、周辺の景観に合わせたものを計画するのも良いし、

逆にあえて異物を挿入するような方法でも良いと思う。

結果的に重要なのは、その地が抱えている時間軸に対して、

真っ正面から向き合い、向き合った上で解答を出すこと。

だから、周辺の景観に合わせたものを計画するのでもよいし、異物を挿入するような計画でもどちらでもよい。

どのような計画をしても賛否両論あると思うが、それはそれでよい。

その地が持つ時間軸と向き合うことが、歴史的文脈を配慮するということであるし、

その思考ができないで建てられた建物は、「建築」ではない。

ザハ・ハディドが計画したものはどこまで考えられた案なのかは、

本人がその計画の思考を語るまでは分からないし、実際に建てられたものを見るまでは分からない。

国立競技場の議論の今後の行方が、どのような方向に向かうのかは、興味深いし、楽しみ。







この大分市立市民アートプラザは、磯崎新の作品の中でも、最も好きな作品である。


6.20.2013

福岡


4月より福岡での生活が始まる。

東京での生活も楽しかったが、福岡での生活の方が多分自分に合っている。

元々の自分の建築観を考えると、今福岡にいるのは必然だ。

と思える、帰福二ヶ月半後の今。


現在放置している半年前のニューヨークの旅行記も、忘れずに整理しよう。

12.24.2012

Ciak

Ciakの2013年のスケジュール帳をネットで購入。

大学4年以来、Ciakを使い続けている。

個人的にしっくりきている。

気にっているタイプの手帳は3年前から日本で売らなくなったので、

最近は、面倒だが年末にイギリス、もしくは韓国のサイトで

スケッチ用の手帳と合わせてまとめて購入するようにしている。

多少手間がかかっても、お金がかかっても

愛着はそれらを簡単に超える。

実は、少し使いにくい部分もある手帳なのだが、

好きだからよいのだ。

世の中、結局そんなものだ。


11.20.2012

12.10.30 ニューヨーク-4


この日の朝、

ニューヨーク650万世帯が停電、

かつ、停電期間が約一週間になるだろうという情報を人から聞く。

地下鉄も水没しているようで、4~14日ストップするとも聞く。

停電のため、テレビも見れず、Wi-Fiも使えないため、

情報を得ることできていなかった。

予想以上。

状況確認のため少し街を歩くことに。



本当に街が停電している。

朝には停電も回復すると思っていたが、

甘かった。

脆弱すぎる。


予定を大変更。


急遽、本日のニューヘブン行きを中止、10/31-11/2ボストン行きを中止。

ただ、中止するといっても、中止する術がない。

ネットがなければ、ホテルも、交通手段もキャンセルできない。

そもそもニューヨークに残ったとしても、

今日からのニューヨークの宿がまずない。






風での被害は多少見られるが、言うほどでもない。

とにかく問題は電気だ。



信号が止まっているため、警官が交通整理。

3.11の後、八王子で見た計画停電の時と同じ光景。

ただ、ここはニューヨークのマンハッタン。

ど真ん中なのだが。


警官に停電していないエリアを確認。

後で分かったことだが、マンハッタンの南半分が停電していたようだ。

ちょうど僕が泊まっていたホテルがマンハッタン中心部より少し南側の

ミッドタウンという所に位置していたため、停電となった。

とりあえず、現状を打開すべく、電源の旅へ。

マンハッタン北部の停電になっていない地域に向かう。





電源のあるお店を探し、iPhoneとiPadを充電。

状況が状況だけに同様の客も多数いた。

BBCの記者がこのお店の電源難民の取材をしていた。


充電を終え、次はWi-Fiの旅へ。


マンハッタン中のスターバックスとマクドナルドがサンディの影響でクローズしていたのが痛手。


この二つのお店を除くと店内でWi-Fiを使えるお店は非常にに少ない。









Wi-Fiを使用でき、かつ開いているカフェを探し当てれなかったので、


結局スタバ周辺でネットを。


こちらも状況が状況だけに同様の客も多数いた。


ただ、外なのでとにかく寒い。


異様な光景。


今日は今後の計画の立て直しに力を注ぐ。


10/30-11/3もマンハッタンの同じ宿に連泊することに決定。


泊まっていたホテルには予約がいっぱいとお昼に断られていたが、


夕方に状況が変わり、


連泊可能に。


こういう状況なだけにキャンセルでも出たのだろう。


泊まっていたホテルは停電地域はあるが、


交通手段を失ったマンハッタンにおいて、


中心部に位置するホテルの立地条件は魅力的であった。


そもそも、停電していない地域のホテルはほとんど埋まっていた。


不便ではあるが、充電とWi-Fiは朝と夜にカフェですることに。







LOVEどころではない。


アメリカらしくステーキを食す。



夜になっても地下鉄は動かず。


鉄道も動かず。


僕を含めてマンハッタンの多くの人はは停電に悩まされている状況なのだが、

タイムズスクエアのネオンは眩しいほどに輝いていた。

様々な高さ、角度の広告面を持ち、様々なベクトルを持った動く広告文字。



多くの情報が一度に飛び込んでくるという現象はとても面白く、魅力的なことである。

建築空間のヴォイドも同じ原理。

ヴォイドを介して、様々なフロアの人々の活動が見えるということがやはり空間として面白い。

人々の活動にもベクトルがあり、また速度もある。

それらの多様性をヴォイドでリンクさせ、

人々の視覚に一度に飛び込んでくる状態を出来るだけ作り出していければなと思う。 













初日に行ったエンパイアステートビル。

あの時見た輝くマンハッタンの夜景は、今日はないのだろう。





夜の帰宅方法は、停電地帯際からタクシーで帰ることに。

夜の停電地帯は暗すぎて無法地帯。

怖い。

危険。







事態がこの先好転するのかどうか全く分からない



不安な一日。

   

11.16.2012

12.10.29 ニューヨーク-3



ハリケーン「サンディ」接近。




朝地下鉄の駅に行くと、入り口が閉まっていた。

サンディの影響による終日地下鉄全休のようだ。

ネット情報によるとこの日の夜サンディのピーク。

夕方までは、何とか観光できるだろうと、

雨にも負けず、風にも負けず、地下鉄全休にも負けず、徒歩でいざ出発。

マンハッタンを歩き倒す。







ルイ・ヴィトン 青木淳 2004

日本とそう変わりはない。

ブランディングによるプロトタイプということなのか。









トランプタワー デア・スカット&スワンク・ハイドン・コネル 1983






アップルストア、閉店。






Moma臨時休館。

サンディの影響をひしひしと感じる。

風は強いが、まだ全然街を歩ける状態なのだが。

休館、閉店ばかり。







レバーハウス SOM 1952





シーグラム・ビル ミース・ファンデル・ローエ 1958

カーテンウォール際の暖色系のライティングがGLから見ると非常に綺麗である。


シーグラムからレバーハウスを見る。

地理的に近い関係にある。

時系列的にもこの2つのスカイスクレーパーは近い関係にある。

注目すべきはレバーハウスの方が6年ほど早く建っている点。



現代日本の新築のオフィスビルと比較しても、これらは決して劣ることはないように思える。

60年前のものとは思えない。

天気の良い日にもう一度来よう。





ウィリアム・レスケーズ邸 ウィリアム・レスケーズ 1934


1930年代のモダニズムは得意分野なので、ぜひ見たいと思い立ち寄る。

30年代ヨーロッパモダニズム建築はニューヨークではなかなか見られない。

ウィリアム・レスケーズという建築家はスイスから1920年にアメリカに渡ってきたようだが、

この作品だけ見て比較するのならば、

同時代のイタリア北部、ドイツのモダニズムの方が全然レベルが高い。

アメリカ建築文化における特徴、特異性として

「インポートモダニズム」という性格に注目しているのだが、

戦前については面白みに欠けるようだ。

戦前の建築の潮流にアメリカは組み込めない。

分断点はやはり戦争か。




通りすがりの教会。

ニューヨークの教会はRCが多い。


アメリカンランチは豪快。




国連本部ビル ル・コルビュジェ、オスカー・ニーマイヤー、ハリソン他 1953






フォード財団ビル ケヴィン・ローチ 1967

風が強くなり、気温も下がり、カメラのレンズも雨で濡れるので、

国連周辺の写真がやたら少ない。

撮る気が失せている証拠。

フォード財団はサンディの影響で閉館。






クライスラー・ビル ウィリアム・ヴァン・アレン 1930



豪華の極みを見た感覚。

選り好みをせずに色々なものを見るということは重要である。











予約していたブロードウェイもキャンセルに。





さすがに外を出歩けない状況になってきたので帰宅。

そして、この夜、マンハッタン停電。