9.27.2012

「建築新大陸アメリカの百年」購入


「建築新大陸アメリカの百年」をAmazonで買う。



歴史の浅い、アメリカは建築も都市も、


そこでの人々の生活の彩りもどこか大味で深みにかけるのではないだろうか。

やはり魅力的なのはヨーロッパだ。

どこかでそう思っていた、この私的先入観を、

ぜひ裏切ってほしいと期待を込めて

あえてのチョイス。

いざ、ニューヨーク



去年仕事で行った上海のように、よい意味でのギャップを感じることができたらなと思う。


ナチスからの亡命建築家が築き上げた新大陸のモダニズム~9.11~現在。

まずは来月末まで、今の仕事をきっちりフィニートせねば。





9.13.2012

12.08.18 上井草










ちひろ美術館 内藤廣


安曇野ちひろ美術館より、こちらの方が個人的にはスケール感が好きでした。

東京の住宅地にこじんまりとある感じがよい。

東京にも色々な種類の街があり、面白い。




9.02.2012

ポジティブ


現状の不満が、不安や焦りへと変化していく中、

睡眠時間を削らざるをえない状況に突入し、

体力勝負の数ヶ月間。

体力的にばてたと思っていたのは大きな間違いで、

実は本当にばてていたのは心の方だった。

と、少し落ち着いた今となって気づく

今考えればすごく不安定であった。


反省。

8/24 初めての担当物件の見学会
8/25 高校の同窓会in東京

久しぶりに楽しいイベントが先週に二つ。


この二日で心が晴れました。

今週も面白い話、楽しい話、めでたい話がいくつか。

流れが急に変わってきた。



残り2ヶ月、頑張ります。

28はきっとポジティブな年なんだ。





8.18.2012

12.08.13 川棚

実家に帰る前に、川棚へ寄る。

温泉 瓦そば 自然 地形

ある程度キャラクターのある地方の町は、

建築を計画するのに魅力的。




川棚温泉交流センター 隈研吾








多面体の外皮。

構造体と設備がむき出しの内部。

天井、壁をあえて仕上げないことが

生物的な要素を与えている。

このような多面体の建築ではどうしてもRCで作りがちだが、

鉄骨でこのようにまとめるのは面白いし、うまい。

ローコスト、無柱空間、生物性、造形

無理なく全てをリンクさせている。


このようなディテールも隈研吾的でとても面白い。

ジョイント部においてH鋼のフランジがどこにもぶつかることなく終わっている。

このジョイント部だけ見ると力学的には鉄骨のフランジは効いていない。

力学的に純粋に、素直に納めようとすれば異なるジョイントとなるだろう。

つまり、これは一種のフェイク。

このフェイクが隈研吾の建築において、

建築の核となる要素を含んでいる事が多いと、いつも僕は解釈している。

この鋭角のスチールが、わずかな隙間を空けて向き合うジョイントは

この建築が多面体で構成されている事と、

また単体のパネルの組み合わせにより全体が成立していることを

暗に意味している。

これは隈研吾の建築に多くの見られるバラック的要素と繋がる。

ディテールから建築全体の構成、コンセプトが見えてくる。

このようなディテールのあり方が、

建築的なディテールだ。

キレイに納める事が全てではなく、

そこに意図が含まれている事が最も重要。


話が変わるが、

根津美術館のエントランスまでのアプローチ空間の軒裏にも

フェイクの要素が含まれていて、

また、そこにある意図が読み取れるのでとても面白い。


このような手法は内藤廣だと絶対に行わないので、

対比的に両者の建築を分析することを、非常に興味深く感じている。


サインも三角形で構成している気の配り方はとても良い。







タクシーで15分。

近くにある隈建築をもう一つ。

安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設 隈研吾





6.17.2012

12.04.30 大船渡-気仙沼2



大船渡と気仙沼では


土地の臭いが違った。




その違いを生み出している原因が


被害の違いなのか


海質の違いなのかは分からないが。




写真では分からない印象と指標。

6.10.2012

12.04.30 仙台



駅前はペデストリアンデッキ。




駅へと向かうアーケードが都市の中心。


早朝5時であったが、多くの人が歩いていた。


朝まで飲んでいた人々が皆、同じ道を歩く。


なかなか面白い光景である。



「都市の軸」的な都市計画は、上から目線な印象が拭えず

個人的にはあまり好きではないのだが、

本当にこの軸上を多くの人が歩いているとなると話は違う。


久々の帰省後、街でお酒を飲み、十分酔っぱらった後、

アーケードを真っすぐ歩いて帰る。

そこで予期せぬ再会がきっと毎度あるのだろう。


仙台の都市構造に関しては

大味であるという印象を持っていたが、

その中にある異種の面白さには全く気づかなかった。

小さな発見である。



5.31.2012

12.04.30 大船渡-気仙沼

仕事もプライベートの用事もないフリーな一日が出来たので、

このタイミングだと夜行バスで東北に向かう。

まさかの往復夜行バス。

さすがに翌日からの仕事はボロボロだったが、

行ってよかった。

あれこれと自分なりに考えてはいたが、

現地にて、もやもやしていた頭の中の整理完了。

その地に立つ事の重要性を改めて痛感。



建築は敷地だ。という教授の言葉を思い出す。

とにかく敷地に通い詰めなさい。

朝、昼、夜、

晴、曇、雨、

春、夏、秋、冬、

全てを見なさい。という教授の言葉を思い出す。

その言葉を純粋に受け止め、

卒業設計前にティベリーナ島に1週間通い詰めた自分の過去を思い出す。

現地で受ける感覚ほど重要なものはない。

簡単な解決法である。








津波で家屋は流された空白の街なのだが、

コンクリート基礎だけは残っていた。

建築を勉強している者だからということもあり、

そこから、被災前の生活のイメージが読み取れ、

心苦しかった。

エントランスのタイル貼りが至る所に見られた。

湿式だから、コンクリート共に残っているわけだ。

本来は明るい家庭の入り口だったはずである。






リアスホール 新居千秋








 震災後、この建築を見てみたいと常に思っていた。


約1年越し。


被災地に建つ、


このコンクリートの建築に、


時代の切断点としての大きな役割を担う可能性があるのではないかと


個人的に考えていた。


広島のピースセンターのように。










もし東北に建築を建てるならば、


ピースセンターとは対照的に、


この東北の地では地べたに這いつくばるような形態が良いと思っていた。


素材はコンクリート。


あの風景から受けた感覚を信じ、


復興を支える建築のあり方を考える一個人の、


小さな考えである。






感覚的なものの中にはもちろん合理性は含まれていないのだが、


建築の奥深くにある説得力は、


最終的にはそういったものなのではないだろうかと思う。






とにかくこのリアスホールには感覚的に


ピンと来た。


圧倒的な造形力が生み出すパワーもまたよい。





シンプルな言葉で


良い建築と思った。